世界50カ国で1000種以上の淡水魚を釣りあげ怪魚ハンターとして知られている小塚拓矢(こづか たくや)さん。
そんな小塚さんの経歴を調べてみました。
- 小塚拓矢のwiki経歴
- 小塚拓矢が怪魚ハンターになったのは父の影響?
まとめてみました。
小塚拓矢のwiki経歴
プロフィール
小塚拓矢(こづか たくや)
出身:富山県高岡市
生年月日:1985年9月7日
血液型:AB型
東北大学理学部、東北大学大学院修士課程修了
剣道3段
怪魚ハンターとして活躍されている小塚拓矢さん。
そんな小塚さんが初めて魚釣り体験をしたのは1、2歳の頃。
ダンボールで魚の形を作りそれを釣って遊ぶお父さんの手作りの釣り堀でした。
釣りが好きというより魚が好きで特に水族館が好きだったようです。
実際に釣りを始めたのは幼少期の頃。
小学生や中学生の頃には釣りが趣味で学校が終わると釣りをしていたようです。
小学・中学時代
初めはウグイやキス釣りをしていた小塚さんですが、小学校高学年の頃ルアーを投げてキジハタを釣っている人を見て擬餌で釣れる姿に衝撃を受けます。
自分でも試してみて釣れたことに面白みを感じ、そこからルアーに変えました。
高校時代
高校生になると最初の頃は釣りから離れ、2年生の時に彼女と別れたことがきっかけでその夏に久しぶりに釣りをしました。
そこで釣りへの情熱が戻ってきたようです。
大学時代
大学生になると、生物の進化を学ぶ一方で海外での釣りにも夢中になりました。
バイトをし、お金を貯めて最初に訪れた国はタイ。
次に釣りに行った国は世界三大魔都と呼ばれるパプアニューギニア。
そこではマラリアにかかったそうです。
現地でお世話になって病状が落ち着くと釣りに出かけ、今まで見たこともないような淡水魚を次々と釣り上げたそうです。
このことがきっかけで怪魚釣りにハマっていったようです。
ところで小塚さんが海外で怪魚を釣るきっかけとなったのはどんな出来事があったのでしょうか。
まとめてみました。
小塚拓矢が怪魚ハンターになったのは父の影響?
小塚さんが怪魚ハンターになるきっかけは、高校時代に武石憲貴(たけいし のりたか)さんの存在を知ったことです。
武石さんは世界を渡り歩く怪魚ハンター。
小塚さんは大学受験が終わってから、武石さんの住む秋田まで話を聞きに行きました。
そしてこんな話を聞かされました。
武石は現地で馬を購入し、単独で草原を駆け、ジャングルに分け入り、奥地の川でそこにしかいない一匹を釣ったという。
引用元:VARIVAS
武石さんの話を聞いて「超かっこいい」と思った小塚さんは、怪魚を釣る決心をします。
海外釣行のために大学入学後にはバイトをし、生活費を切り詰めお金を貯めました。
小塚さんの海外への怪魚釣りはちゃんと計画を立てたものだったんですね。
そんな小塚さんが、初めて釣った外国の魚はブラックバス。
小学6年生の頃に祖母の家の近くにブラックバスがいることを知り、釣ってやるという使命感に湧いたそうです。
小塚少年にとってブラックバスはまさしく怪魚。「ルアーで『怪獣を倒しに行く』感覚だった
引用元:VARIVAS
そんな少年だった小塚さんが今では海外を飛び回る怪魚ハンターに。
魚のことを考え、一度釣って満足したら同じ獲物は二度と釣らないそうです。
まとめ
今回の記事では小塚拓矢さんの記事をまとめてみました。
小塚さんが初めて釣りをしたのは幼少期の頃で小学、中学頃は釣りに夢中になったようです。
小学6年生の頃からはブラックバスを釣る事に夢中になります。
そんな小塚さんが海外で怪魚を釣るきっかけになったのは武石憲貴さんの存在。
高校生の頃に武石さんの存在を知り、大学受験後に会いに行きました。
そこで世界を渡り歩きながら怪魚を釣る話を聞き、自分もやってみたいと決心します。
そして大学に入学してからはバイトでお金を貯めて海外デビューを果たしました。